昭和44年05月04日  特別奉修委員



  只今の特別奉修委員の方達の御祈念をお取り次ぎさして頂いて、一番始めに何か知らん今日私自身の心の中にこうはずんだものと言うか、生き生きとした瑞々しさといったようなものがないのですよね。ですからその事を神様にどこにどういう原因があるのじゃろうかと思うて、その事をね思わして頂きよったら、昨日あの熊谷さんの所で、御直会の時に大鉢盛が出てました中に、中にあの小さいこのくらいの、天ぷらのあのえびの天ぷらが、沢山出ていました。
 あれ私昨日頂いてから思ったんですけれどもね、あのあれ皮を取ってから天ぷらにすりゃ食べられるんですよね、美味しいんです。まぁもう天ぷらと言やぁ、もうえびが第一だとされてますからもう最高なんですけれども、皮のまま天ぷらしてあったですあれを。小さい何か花にしたがじゃじゃばってん、やっぱり口ん中でシバシバしていけませんですよね。あれどうしてあんなことしただろうかと思うんですよね。ならあの皮のついたまま揚げてあるんです。だから勿論天ぷらを頂いたから私。
 「ははぁ私の信心が天ぷらだからなか」ね、あの天ぷらということはほんなもんじゃないっていう時にですね、天ぷら講師なんかってあのうまぁね、土建業の人達のあのう天ぷら工事がしてあった為に、大水の為に壊れてしまうといったような、中身がないっちいう。折角えびと言やぁまぁ最高の信心、最高の修行とおっしゃるのですからね、いわゆるもう本当に言わば自分という者をいよいよ窮屈な所においての修行、さしてもらいよる事だけは事実ですよね私の場合は。けれどもほんなもんじゃない。
 それがなら例えば朝からなら有り難くなかったり、瑞々しさがなかったりというのはそこに原因がある、天ぷらだからなんだとこういう、ほんなもんじゃないという事ですよね、神様は実にその厳しい。あのうさっき井上さんがお届けされる事の中から、でも神様がお知らせ下さるという事はもう実に、本当に自分の心の中というものをもうよっぽどそれこそ顕微鏡で見れる気持ちにならなければ、その分からない程しの事でも神様は指摘してそれをね、それではおかげは受けられんという事をこう教えて下さるんです。
 例えば私共の場合でも、全然うっすらもんという訳でもないでしょう、すらもんならおかげの頂けるはずがないですからね、実を言うたら。そりゃもう本当に間違いのないおかげも頂いておる訳ですけれども、けれどもその信心というのがもうどこまで行ってもこれで良いという事はないのですからね。結局本当なものを本当なものを目指しての信心ですから、今只今これが本当だと思うておっても、明日また違った信心に進んでおるかも分かりませんしね。
 まぁそういうまぁ良い意味で、自分をまぁ可哀そうだというような見方でですね見れば、そういう風にも見られます。そりゃ本当っちゅうものはなかっちゃから。本当から本当を求めて行くのが信心だからと、言ゃもうそういう事もいえん事はないけれども、まぁその位私も神様から「お前の信心は天ぷらだからだ」と言われておるような気がしたんです、そのお知らせを頂いて。何故ってせっかくこれだけの修行をさして頂きよるのじゃからね、もう一皮むいて揚げたらね。
 そりゃあもう最高の天ぷらとして、食べ物としておかげを受けられるのに、「もう一つ脱皮が必要ぞ」と私へやはりいわれた気がするんですけれど、皆さんどうでしょうか。皆さんもね、やはりこれで良いという事はありません。そりゃ本当から本当を求めているのじゃけんで、これで良いというような事じゃいけませんよ。やっぱり自分というものを、厳しくやはり見極めさしてもらうというところから、天ぷらである私という事が分かる。どうぞ一つ脱皮に脱皮を重ねて行く以外にないと思いますね。
      どうぞ。